小野篁が遣唐使船に乗船拒否し、遣唐使を風刺する詩を作ったため、嵯峨上皇が激怒。流罪となった篁が、島流しの途中で詠んだ。「わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人には告げよ海人の釣舟」 後年、上皇が「何でアイツ流罪の歌で百人一首に入ってるんだ!」と怒ったりはしない。
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