最近アーシュラ・K・ル・グィン再読祭り中で、『所有せざる人々』(感想)を読んだ。
自然豊かだが貧富の差が激しい惑星ウラスと、砂漠だらけで皆が平等に飢えに苦しむ惑星アナレス。かつてウラスで革命を起こした非所有主義者たちは、アナレスに移住して自分たちの理想とする国を作った。その子孫シェヴェックがウラスを訪れ、現在のウラスで革命を起こそうとする者たちの前で演説したのち、アナレスに帰っていく。 ……シェヴェック自身が故郷に帰りたいのは当然だが、何となく疑問が残った。彼が〈地獄〉と呼ぶウラスは、〈地獄〉のままなのか? 放置して去るのか? その後、短編集『風の十二方位』(ハヤカワ文庫SF)を再読して、『オメラスから歩み去る人々』で、また疑問を抱いた。 PR |
恩田陸『夢違』(角川文庫)。タイトル、何の疑いもなく「ゆめたがえ」と思っていて、読了後に奥付で「ゆめちがい」だと気付く(汗)。
著者の作品は、『光の帝国 常野物語』『六番目の小夜子』『木曜組曲』『ユージニア』『Q&A』を既読。で、読んでいる最中は謎に引っ張られて面白いが、全ての疑問が解明されてスカッとする『木曜組曲』(感想)は寧ろ異質で、謎が残って読後モヤモヤするのが平常運転なのだと学習した。謎の残り具合が私の好みと合えば「面白かった!」となるし(『ユージニア』感想、感想)、合わなければ「納得できん!」となる(『Q&A』)、博打のような作家である。 とにかく、全面解決は期待するな、という心構えで読む(笑)。 夢を映像記録(=“夢札を引く”)して精神医療に用いる近未来。「夢判断」を職業とする野田浩章に、集団パニックを起こした小学生達の悪夢を分析する仕事が持ち込まれる。 同じ頃、浩章の兄の元婚約者であり、十数年前に死んだ筈の古藤結衣子の『幽霊』が、周囲に見え隠れし始める。彼女は、日本で初めて“予知夢を見る”と公的に認められた人物だった。 |
トム・ゴドウィン他のアンソロジー『冷たい方程式』(ハヤカワ文庫SF)収録の表題作。
SF界隈では有名な短編なので、状況設定だけは知っていたのだが、読んでみたら話の方向が予想と違った。 辺境惑星へ血清を届ける途中の小型宇宙艇で、密航が発覚。 燃料ギリギリしか積んでいないため、密航者を乗せたままでは減速用燃料が不足、惑星の大気圏突入に失敗して墜落する。 密航者を下ろすために引き返せば、血清が間に合わず惑星上の6人が死ぬ。 6人を助けるには密航者を宇宙へ放り出すしかないが、密航者はまだ18歳の少女だった。 |
桜庭一樹『ブルースカイ』(ハヤカワ文庫JA)。この著者の本は初めてだ。
第一部のプロローグ部分を立ち読みして購入を決めたのだが……うーん(汗)。著者が書きたい趣旨は分かるし、その方向では上手く纏まっていてそれなりに面白いが、読む前&読みながら私が期待していた方向とは違う(泣)。勝手にSFを期待した私が悪いのだが。 第一部の舞台は1627年ドイツ、魔女狩りの波に襲われる田舎町。物語は、10歳のマリーの一人称で綴られる。こんな硬い口調の10歳いるか? 成長後に昔のことを回想しているんじゃないのか? と思ったが、本当に10歳らしい(汗)。しかし、友人の12歳の少年が既に〈大人の働く男〉として扱われる時代だから、10歳でもこれくらい成熟していて当然なのかもしれない、と考え直した。 第二部は、2022年シンガポール。24歳の3Dグラフィックスデザイナー・ディッキーは、中世について語る。 「近代以前には、人々はこども時代からとつぜん大人になったんだ。なぜなら彼らには生活があり、働かなくてはならなかった。結婚や出産もずいぶん早い時期から始まったろう? (中略)それが、近代になって学生である期間が伸び、人生において、こどもでも大人でもない不思議な時間が生まれた。そこで、幼女でも大人の女でもない“少女”という名のクリーチャーが生まれた」 そして第三部の主人公は、2007年の17歳の女子高生。 成程、著者は現代(2007年の設定だが、2005年の書き下ろしだから、“00年代”くらいの括りかな)の“少女”を描きたかったのか。“少女”が存在しなかった時代のマリーと、“少女”の文化的後継者としてのディッキーは、その比較対象だ。 しかし、第三部の主人公に、十数年前は自分も女子高生だった筈の私が、全く感情移入できない(汗)。“少女”の代表なんだから、彼女が物凄く特殊なワケではないと思うんだ。じゃあ、私が特殊なのか? もし私が特殊でないならば、90年代と00年代の少女の間に、共感できない差異があることになる。続く。 |
森博嗣の作品は、デビュー作『すべてがFになる』から始まるS&Mシリーズ5冊、及び短篇集『レタス・フライ』のみ読んでいる(漫画版なら、『黒猫の三角』も読んだが)。うち、所有し複数回読んだのは『F』と続編『冷たい密室と博士たち』だけなので、私の森博嗣観は、ほぼこの2冊から成り立っている。
また、前日に押井守監督による映画を鑑賞した。という前提で、『スカイ・クロラ』(中公文庫)を読んだ。思ったことは、4点。 1。「処女作には著者の全てがある」というのは本当だなぁ、と実感する。読んでいて、『F』の登場人物・真賀田四季や犀川創平の台詞、思想を思い出さずにはいられない。ただ森氏の場合、執筆順での処女作は『冷たい密室』で、『F』は4作目だそうだが(汗)。 1とリンクするが、2。真賀田四季は、キルドレだ。犀川も、そうだろう。 但し、『スカイ・クロラ』のキルドレたちは、“自分がキルドレであること”に思い悩む。四季ならば悩まないだろう。自分が、周囲の人間とは別種の生物であることを、当然と見做すに違いない。犀川は、多少、悩むかな。 とにかく、『スカイ・クロラ』を読むと、むしろ『F』について語りたくなるのだ。続く。 |
新井素子『チグリスとユーフラテス』(集英社文庫)。新井作品は、『くますけと一緒に』『ひとめあなたに…』『ディアナ・ディア・ディアス』に次いで4作目。過去3作は全部借り物なので、読み返して確かめられないが……。
こんなに“素子節”(と呼ぶらしい、独特の文体)が鼻についたのは初めてだ(汗)。 > あなたと、一緒に、生きたかったんだよおっ! (1st マリア・D) > わたしは、わたしは、絵を描くのが、好きなんだあっ! (3rd 関口朋実) ……せっかく感情移入していたのに、一気に醒めるんだけど(汗)。 朋実は、内心の叫びということで百歩譲ろう。マリア、「30歳のいい大人が、遺書でそんな文を書くか?」と言いたいところだが、書く人もいるかもしれないので(マリア曰く、きちんとした文章の書き方を習っていないそうだし)、その理由で文句をつけるのは止めておく。要するに、私の感覚に合わない文体だというだけなのだろう。 ただ、他の部分ではさほど気にならなかったから……この2つの文の、最後の「お」と「あ」を取ってくれたら、それだけで、『チグリス~』に対する私の評価は劇的に上昇する。その直前まで、本当に盛り上がっていたから、尚更そこで断ち切られるのが惜しいのだ。 “素子節”が苦手な方には辛いだろうが、しかし、内容的には一読の価値はあると思うんだよな。続く。 |
小松左京『継ぐのは誰か?』(ハルキ文庫)。これ、最初の雑誌連載で読んでいた人は面白かったろうなぁ! 毎月、次号が待ち遠しかったんじゃないかと思う。
ヴァージニア大学都市の大学院生タツヤたちに送られた謎の予告。彼らの仲間、チャーリイを殺すというのだ。 通報を受けてやってきた警部補は告げる。世界各地の有名大学で、院生や助教授ばかり狙った謎の予告殺人が三度起きている、と。犯人は? その目的は? |
コニー・ウィリス『わが愛しき娘たちよ』(ハヤカワ文庫SF)は、ヒューゴー賞・ネビュラ賞受賞作『見張り』、ネビュラ賞受賞作『クリアリー家からの手紙』を含む短編集である。というか、原書のタイトルは"FIRE WATCH"=『見張り』なんだよね。でも短編集の邦題が『見張り』だったら、地味すぎて目に留まらないかもしれない(汗)。
(一昨日のブラッドベリ短編集『二人がここにいる不思議』(感想)は、もし邦題『トインビー・コンベクター』だったら何だかわからないに違いない……。) そう考えると、邦訳での表題作変更というのは意味があるんだなーと、妙に納得してしまった。 |
J・G・バラード『結晶世界』(創元SF文庫)。コレも、読後の印象はSFじゃないけどな(汗)。
理由は見当つくんだけどねー。モント・ロイアルの森で始まり、広がり続ける謎の現象。そこでは動植物も人工物も、人間も、内から光り輝く宝石と化してしまう。現象の原因に関し、時間と空間が云々と作中で一応の説明はあるんだけれど、納得できない……というか、この話において原因はほぼどうでもいいんだよ(汗)。結晶化現象は、美しくも退廃的な舞台を用意するための装置。理屈は必要ない。 |
グレッグ・ベア『ブラッド・ミュージック』(ハヤカワ文庫SF)。ヒューゴー・ネビュラ両賞を獲得したダブル・クラウンで、“80年代の『幼年期の終り』”(感想)と評される傑作。という前評判の割には、そこまで凄くはなかったなぁというのが初読時の正直な感想である。
しかし……何度も繰り返し読んでるうちに味が出てきたんだよねー、スルメみたいだわ(笑)。 |
星新一『午後の恐竜』(新潮文庫)。これはショートショート集なのか? ショートショートだと思って読んでると「長いなー」と感じる作品も。収録作品は下記の11篇。
『エデン改造計画』 『契約時代』 『午後の恐竜』 『おれの一座』 『幸運のベル』 『華やかな三つの願い』 『戦う人』 『理想的販売法』 『視線の訪れ』 『偏見』 『狂的体質』 |
アーサー・C・クラーク『地球幼年期の終わり』(創元推理文庫)は、『幼年期の終り』の邦題でハヤカワ文庫SFからも出ているが、私が買ったのは創元版である。
人類が今にも宇宙に進出しようとしていた矢先、地球の上空を覆った巨大宇宙船団。地球は〈上主〉(オーバーロード)と呼ばれる異星人の管理下に置かれる。彼らの統治は良心的なものだったが、円盤から降りてくることなく一切正体を見せない異星人に対する地球人の疑念は、完全には消えない。総督カレレンは国連事務局長ストルムグレンに、50年後に地球人の前に姿を現すことを約束するが―― |
光は暗闇の左手(ゆんで)
暗闇は光の右手(めて)。 二つはひとつ、生と死と、 ともに横たわり、 さながらにケメルの伴侶、 さながらに合わせし双手、 さながらに因-果のごと。 アーシュラ・K・ル・グィンは二元論の作家だと思うのだが、それが最も現れているのが『闇の左手』(ハヤカワ文庫SF)に出てくるこの詩。光と闇、それは決して敵対するものではなく、二つで一つ。対比させることによって、双方が際立つ。 |
人によって“SF”のイメージはいろいろあると思うが。
もし、天文学やロボットやコンピュータやバイオテクノロジーや、高度な理系の専門知識を有した人が出てきて、科学的に強固に裏打ちされたストーリーが展開されるような物を期待するなら、アーシュラ・K・ル・グィン 『言の葉の樹』(ハヤカワ文庫SF)は当てはまらない。今言った理系チックなのは私の認識では“ハードSF”という代物で、J・P・ホーガン『星を継ぐもの』(創元SF文庫)等が典型だと思うのだが、私この系統めちゃめちゃ大好きである。 一方、広大な宇宙空間を舞台に、異星人も出てきて、宇宙船で飛び回ってスペクタクルな戦闘を繰り広げるような物を期待するなら、やっぱり『言の葉の樹』は当てはまらない。宇宙戦闘メインなのを私は“スペースオペラ”と認識していて、見たことないのだが恐らく映画『スター・ウォーズ』等がその系統だと思う。 しかし、それでも『言の葉の樹』はSFなのである。何をもってして、私はコレをSFと認識するのか。 |
最近、文庫本を三冊購入した。
一冊は、連日日記で触れている『SFの殿堂 遥かなる地平(1)』。 二冊目は、上遠野浩平『しずるさんと偏屈な死者たち』(富士見ミステリー文庫)。 三冊目が昨日読んだ、長谷敏司『天になき星々の群れ フリーダの世界』(角川スニーカー文庫)だ。 この長谷敏司という作家さんは、第6回角川スニーカー大賞で金賞を受賞した『戦略拠点32098 楽園』(感想)というSFがデビュー作である。この『楽園』、私が大絶賛するいくつかの作品のうちの一つである、機会があったらぜひご一読を。 さてさて、『フリーダ』はそういう長谷さんの二作目なので、とても期待して読み始めた。 ――結論から言えば、「面白かったけど『楽園』ほどじゃない」。しかし、『フリーダ』は『フリーダ』で、強烈に印象に残る作品である。 (以下ネタバレもあるので、今後『フリーダ』を読む気のある方はご注意) |
長谷敏司『戦略拠点32098 楽園』(角川スニーカー文庫)。
汎銀河同盟と人類連合との宇宙戦争が始まって1000年。 汎銀河同盟の降下兵ヴァロワは、敵が死に物狂いで護る謎の惑星〈拠点32098〉への降下にただ一人成功。そこで彼が目にしたものは、見渡す限りの草原と、人類連合軍の強化兵と、真っ白いワンピースの少女だった。 ガダルバ、マリアと過ごす奇妙な日々。人類連合が楽園と呼ぶ星での生活になじみかけたとき、ヴァロワはこの“楽園”の真の意味を知る――。 |
岩本隆雄『星虫』(ソノラマ文庫)。
それは、ほんの少しだけ、未来の物語。 わずか三年前、日本の山中で約五千年前に落下したと思われる宇宙船が発見され、全世界が宇宙を夢見た、そんな時代―― 氷室友美、十六歳。夢は、スペースシャトルのパイロット。その夢を笑わずに真面目に聞いてくれた不思議なおじさんとの出逢い以来、体を鍛えるための毎夜のランニングを欠かしたことはない。 その友美の前に降り注いだ流星雨――それは、何と宇宙生物だった! 全世界の人々の額に貼りついたそれは“星虫”と命名され、人間の感覚を鋭敏化させ、拒絶するもの、歓迎するもの、全世界を騒動の渦に巻き込んでいく。その中で、友美の星虫は……。 |
アーシュラ・K・ル・グィン『所有せざる人々』(ハヤカワ文庫SF)。
アナレス。惑星ウラスの〈月〉。砂と荒野に覆われた大地。 そこは200年の昔、オドー主義革命の申し子達が新天地建設を夢見て移住した、法も政府もない新世界だった。誰も何も所有せず、喜びも苦しみも全てを皆で分け合う理想郷。 だがその理想郷も、自分たちだけの殻に、壁の中に閉じこもり、“慣習”という法から外れる者を忌み嫌う排他的な世界となっていく。 時間物理学者シェヴェックは、その壁を打ち壊すために、完成間近の一般時間理論をたずさえ、200年の断絶を越えてウラスへと降り立つ。だがそこにあったのは彼の理論を“所有”しようと目論む世界だった……。 |
ウォルター・ミラーJr『黙示録3174年』(創元SF文庫)。
「火焔変動」、「放射性降下物の鬼」、そして「単純化革命」……地は核の業火に焼かれ、世には異形の者たちがあふれ、生き残った人々の間には科学者・技術者虐殺の嵐が吹き荒れるなか、リーボウィッツ修道院は書物を、知識を守り続けた。いつの日か人類が科学を必要とし、彼らに遺された財産を受け取りに来るときのために。 しかし幾世紀もの果て、再び科学を手にした人類は……? |
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