内裏の梅が枯れ、村上天皇は他所から移植させました。実はその梅は、紀貫之の娘・紀内侍が父から受け継いだもの。天皇が枝に結んであった短冊を開くと、和歌が書いてあります。『花あはれせめてはあと二旬ついの開花を許したまえ』 それは福岡市の桧原桜(ひばるざくら)です。
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