![]() ぼくたちの日常が狂っていく。 高橋。あの、春の土曜、野外劇場の〈カメラ・オブスキュラ〉を見に行かなければよかったんだ。テントの中に映し出された水族館には、存在するはずのない、地下への階段が口を開いていた。 そして、良子。ぼくと、高橋と、良子の三人でやったこっくりさんは、不気味な文字を綴った。 「チカニハイルナタレカヒトリハシヌ」……。 長い長い悪夢が、始まる。
水族館。シャンバラ。悪夢。
私は最近、小説を読むと三語で要約しようとする癖があるのですが、この物語は上の言葉で表されると思います。 水族館を建設したのは、良子の大伯父の大鳥善次郎。だが善次郎の背後には、謎の新興宗教、白神教の存在があった。教祖・出門鬼三朗は戦前、チベットの地下深くにあるという伝説の聖地“シャンバラ”へ行こうとしていたのだという。だがそのシャンバラと、水族館とにいったい何の関係があるのだろう? 戦前の新聞や特高警察の資料、出門の自伝など、古めかしい文章がめちゃくちゃ上手くて、謎めいた雰囲気を醸し出しています。逆に、広田(ぼく)たちの言葉遣いが微妙に今時の高校生らしくないんですが。 存在しない階段、こっくりさん、謎の宗教、伝説の地下桃源郷……次々と出てくる怪しげな要素が、彼らの周囲を悪夢の色に染めていく。ただ、悪夢なら何でもありじゃなくて、たとえ現実から乖離していても“異常の中での一貫性”がほしいんですけどね。投入された要素の中で、最後まで何の説明もなかったものもありますし。 文句をつけたい点はいろいろあるんですが、それでもこの作品が印象に残るのは、異常が続く中で広田たちが送る、通常の学校生活なんだろうと思います。高橋と組んでいるバンド。良子とのデート。二度と戻らない日々、つかの間の輝き。再び春を迎えたとき、彼はどんな気持ちでその時間を思い出すのでしょう? 秋の文化祭――そこで、良子のクラスは劇を上演します。小説のストーリーと劇の内容に関連はないのですが、劇中で歌われる歌が私はとても好きです。それは、大干魃に襲われたある星の物語。王子ポランが絶望とともに歌う歌…… 子供たちの子供たちの子供たちは いつか歌うだろう 水の星 水の星 ここは水の星だったと 水の星 水の星 もう目瞼の奥にしかない PR |
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