
片山恭一
『世界の中心で、愛をさけぶ』(小学館)。この本を読んで「感動した」という方は、以下ご注意。
世間で話題なので、朔太郎の恋人・アキが白血病で死ぬ話だということは知っていた。本の帯には〈十数年前。高校時代。恋人の死。「喪失感」から始まる魂の彷徨の物語。〉とあったことから、恋人の死に囚われていた主人公が、十数年を経て再生する物語だと予想していた。
しかし、何も始まってなどいない。彷徨もしていない。徹頭徹尾、高校生の朔太郎が“悲しんで”いるだけ。カッコつきなのは、アキの死を悲しんでいるというより、「『恋人が死んで悲しい自分』に酔っている」としか思えないから。娘を失ったアキの両親の悲しみすらアウトオブ眼中。「眼中にない」ではなく、敢えて「アウトオブ眼中」(個人的に、微妙にニュアンスが違うもので)。……自分が世界の中心だと思っている、という意味では、このタイトル正しいのかもしれない。
ラストでいきなり時代が飛ぶ。十数年後の朔太郎と現在の彼女が現れ、朔太郎はずっと持っていたアキの遺灰を手放す。唐突。そこに至る過程を描くか、でなきゃ全く出さないかどっちかだと思う。これでは「十数年もアキを想っていた」ということを示す記号でしかない。(映画やTVドラマでは、この空白を埋めているらしいのだが。)
……この本のどこを読んで感動しろというのだ(汗)。というのが、私の正直な感想である。
注:帯の責任は恐らく作者様にはない筈。且つ、タイトルも作者様ではなく担当氏がつけたらしい。
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