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【感想】浜村渚の計算ノート
浜村渚の計算ノート 後輩が「イマイチ」と言って貸してくれた、青柳碧人『浜村渚の計算ノート』(講談社文庫)。数学ミステリという謳い文句だが、冒頭5頁を読んだだけで後輩の感想に納得した。

 天才数学者・高木源一郎が、数学の地位向上を目的とするテロ活動開始を宣言した。ここ20年ほど日本中の高校で使用されていた、高木作成の数学教育ソフト。それを見た者はみな予備催眠状態にあり、彼の指示で殺人させることもできると言う。
 テロ対抗の切り札として、ソフトを見たことがない中学生の〈数学大得意少女〉浜村渚が警視庁に現れた。

 ……渚の登場シーンの描写が〈あと何年かすれば間違いなく世の男どもを虜にするであろう、美少女のタマゴだったのだ〉って、説明する気がないとしか思えん。
 ソフトを見たことがない警察官を集めた対策本部には、20代の刑事が3人しかいない。高校卒業まで在米だった瀬島直樹。ソフト未導入だった離島出身の大山あずさ。そして武藤龍之介(語り手)は、
〈僕の話は、まぁ……長くなるから、ここでは控えておこう。しかし、誓って言うが、僕はその、高木が作ったという数学ソフトを見たこともないし、それだからこそ対策本部に入れてもらえた〉
らしい。

 この作者、作者の脳内での確定事項を説明するのに段階を踏まないというか、一足飛びに結論に至るというか。ミステリとしては、情報開示に問題があると思う。
 高木のソフトを見たことのある誰もが彼の指示に従い、加害者にも被害者にもなり得る。謂わば、全国の15~39歳の大多数を人質にとった状態だ。猶予を1ヶ月やるから、日本の数学教育を改善せよ。
 という声明が動画サイトで公開され、第一の事件が起きるまでの1ヶ月に、政府は下記の対応を行っている。
(1)ソフトの全回収、廃棄。
(2)高木の著作の全回収。
(3)警視庁に特別対策本部設置。ソフト未見の人員を選抜。
 ……何故、途中に“ソフトに本当に予備催眠効果があるか検証する”という項目がないのだろう?
 ソフトメーカーが全回収するのは当然だ。著作は過剰反応と思うが、出版社としては回収せざるを得ないのだろう。(1)(2)は、高木の声明が実はハッタリだとしても、風評対策として実行するはず。
 ただ、現段階ではハッタリかもしれない単なる脅迫事件なのに、警察は、完全にテロ対策本部として立ち上げている。ソフトの効果を100%信じた上で、人員を選んでいる。“効果に多少疑いがあっても、万が一に備え見たことがない人間を選ぶ”方針ならそれはそれで納得するが、そんな記述もない。
 一方高木も、動画サイトで宣言しただけで、1ヶ月何もしない。ソフトの効果を実証するには、誰かを操って微罪を犯させる程度のパフォーマンスを見せればいいのに。
 高木は、証拠も示さずに、政府(含む警察)が自分の声明を信じると考えている。政府も、検証もせずに、高木の声明が事実だと判断している。敵対関係なのに、互いを信じ過ぎなのが疑問だ。
 以下ネタバレ注意。

 第一の事件は、それなりに面白かった。一見数学っぽくない塗り絵(四色問題)から入るというのは、良い始め方だと思う。やめさせる方法、私の予想が当たってちょっと嬉しい。

 第二の事件。新宿の美術館の警備員が、薬品で殺害された。某研究所から薬品とともに失踪した研究員は、学生時代、渋谷の数学喫茶の常連だった。次に渋谷の美術館で薬品が散布され、多摩で研究員の死体が発見された。
 それだけで渋谷の喫茶店のマスター疑うのって、早過ぎだろう。あと何回か事件が起きた後で、犯人の行動圏を絞るなら納得するけれど。
 マスターに聞き込みした際、“刑事の勘”で怪しく思うのはアリとしても。それだけで鑑識連れて店に行くのはナシだろう……マスターが任意の家宅捜索を拒否しなかったから、捜索できたけどさ。で、実際マスターが犯人だったけどさ。
 オチは、落語みたいだった。

 第三の事件。数学者の大学教授と助手・院生たちがゲストキャラだが、作者自身は学部卒だろうなぁと思った。一応、博士(理学)の私から見て、研究者の世界の描写にリアリティを感じない。数学と物理では常識が違う、と言われればそれまでだが、修士課程に5年費やす人間はいないだろ、と思ってしまう。
 あと、関西が舞台だが、作者自身は関西出身じゃないだろうな。何というか、“世間一般がイメージする奇人科学者”“世間一般がイメージする関西人”をそのまま書きました、という感じがする。
 この話も、教授のメッセージの解読が、落語みたいだった。

 第四の事件。円周率を10万桁まで覚えていて、途中からでも暗唱できる男の能力について、瀬島刑事と渚が議論する。
「それで、浜村、円周率の十万ケタがなんの役に立つのか、答えは見つかったか?」
「それを探すのもまた、数学じゃないですか」
「意地張りやがって。世の中には、なんの役にも立たない数字があるんじゃないのか?」

 役に立つか立たないか、という物事の判断基準は確かにあって、それはそれで正しい。
 しかし、“全然役に立たないが、自分が楽しいからする”というのも研究の本質だと、実生活には寸毫も役に立たない分野の研究者としては思う。地球上に存在しないものに比べれば、缶ジュースにだって直径と円周が存在するんだから、円周率はまだ実生活に結びついているほうだ。
 森博嗣『冷たい密室と博士たち』の犀川助教授に、素晴らしい台詞がある。
「だいたい、役に立たないものの方が楽しいじゃないか。音楽だって、芸術だって、何の役にも立たない。最も役に立たないということが、数学が一番人間的で純粋な学問である証拠です。人間だけが役に立たないことを考えるんですからね」
 犀川は工学部建築学科だが、役に立たないところまで含めて数学を愛している。
 しかし本書は、円周率が犯罪解決に役立つような事件を無理やり創った、というか、作者自身が、役に立たないことを肯定していない、と感じた。

 そして、武藤刑事が対策本部に入れた理由。
 あれだけ思わせぶりな前振りをされたら、最後の事件で物凄く効果的に伏線回収されることを期待するじゃん! 最終頁まで読んでも、明かされなかったよ!
 全体的な感想としては、一般文庫として読むと粗が目立つし、数学ミステリと言うより数学“クイズ”ミステリのほうが似合う。
 初出の講談社Birthレーベルの対象年齢は知らないが、『怪人二十面相』や『マガーク少年探偵団』みたいな児童書ミステリだと思って読むなら、かなり荒唐無稽で説明不足な設定も許せるかな、と思った。

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【2012/11/20 00:58 】 | 感想ミステリ | コメント(0)
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