![]() 昇っているのか下っているのか。そもそもこれは本当に動いているのか。そんなことを考え出すほど長いエレベーターを降りた「私」は、ピンクのスーツの似合う太った美しい無音で喋る娘に案内されて、雨合羽を着込み、暗いトンネルの向こうの依頼人のもとへと歩いて行く……(ハードボイルド・ワンダーランド)。 一方「僕」が迷い込んだのは、周囲を高い壁に囲まれた、一角獣の住む影のない街だった……(世界の終り)。 交互に訪れる二つの物語が、「私」が「組織」と「工場」の対立に巻き込まれるにつれて――。
最初読み始めたときは、エレベーターが動こうが止まろうがそんなもんどうだっていいじゃないかと思ったものですが、そのうち「私」のものの考え方にはまってしまい、話が「世界の終り」に切り替わるのが残念に思えてきたから不思議なものです。「世界の終り」は「世界の終り」で、どことなく悲劇的な雰囲気の漂う街の中の閉じた世界が、幻想的でとてもいいのですが。
しかし、読み進めていくうちに(これは上巻読んでいるうちにわかるのでバラしても罪にならないと思う)、〈世界の終り〉が実は「私」の頭の中の世界だと判明するにしたがって、私卯月には一つの疑問が。 ……『夢界異邦人』の作者様、もしかしてこの本ご存じだったんじゃないか? いや、話の展開は全然違うんですが、ちょっとしたことの積み重ねから、そんな気がしてきちゃって。(『世界の~』は昭和60年発行です) 似ているようで、でもやはり全然違うこの『世界の~』は、何も解決しないし、納得できるような結末は訪れません。「私」にも、「僕」にも。世界の終り、という言葉の意味も、私が想像していたようなわかりやすいものとは違います。でも、だからこそ私の心の中に尾を引き続けるのかも知れません。 「私」が昔読んだ『カラマーゾフの兄弟』の終わりのほうで、こういうセリフがあるそうです。“ねえコーリャ、君は将来とても不幸な人間になるよ。しかしぜんたいとしては人生を祝福しなさい”。そして「私」は祝福しながら、世界は終わっていきます。 「怖がらないでね。 あなたがもし永久に失われてしまったとしても、私は死ぬまでずっとあなたのことを覚えているから。 私の心の中からはあなたは失われないのよ。そのことだけは忘れないでね」 PR |
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