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【感想】何かが道をやってくる
何かが道をやってくる  レイ・ブラッドベリ『何かが道をやってくる』(創元SF文庫)。

 その、避雷針を売る男の来訪が、嵐の前触れだった。
 十月の下旬、ジムとウィルの二人の13歳の少年の住む街に突如現れた、季節外れのカーニバル。朝の三時に響く汽笛の音。鏡の迷路の中に泳ぐ、何万もの自分の姿。刺青の男。闇路の魔女。ミスター・エレクトロ。
 そして、深夜に動き始めるメリーゴーランドは、「葬送行進曲」の逆回転に合わせて……。

 買ったときに一度最後まで読んだのですが、読後感のあまりの悪さに、なかなか二度目の読めなかった本です。二度目は何ともなかったのですが、一度目読み終えた直後は頭の中ぐるぐる回る感じで。
 「悪夢のような」という表現が、まさにぴったりの話です。悪夢というのは、怖いとか気持ち悪いとか単にそういうことではなくて、一生懸命走っているのに全然先に進まないとか、思い通りにならないんです。全てが悪いほう、悪いほうへと回っているような。刺青男の口から出る一言一言、こんなにも悪意に満ちた者がこの世の中にいるのか?
 何が嫌だったって、深夜に音もなく飛んでくる、盲目の老婆を乗せた気球。ダスト・ウィッチ、闇路の魔女。
 それから、ミス・フォレーの“甥”ですね。ジムとウィルの二人を罠にかけて逃げていく、あの手段の汚さ。それに乗じるミス・フォレーもミス・フォレーで、二人の学校の先生なのに彼女に陥れられたら、何を信用しろというのでしょう、全く。
 メリーゴーランドというのは、前に月刊ニュータイプで連載していた榎戸洋司さんの『少年王』という小説でもそうでしたが、馬が回転しているだけの一見単純なものなのに、悪夢の雰囲気がかなり漂っています。「回転」というのが、重要なのかもしれない。そういえばTM NETWORKの木根尚登さんが書いた『CAROL』では、円形劇場そのものが回転していたなあ。
 十月に訪れるクガー・アンド・ダーク魔術団は、ウィルの父によれば「秋の人間」であり、それはこのように説明されます。

 ある人々にとっては、秋は早く訪れ、生涯の終りまでつづく。九月から十月に移り、さらに十一月がつづくけれども、そのあとの十二月もなければキリストの誕生もダビデの誕生もなく歓楽もなくて、ふたたび九月がやってくる。そして十月、十一月とくりかえされる。冬も春も、復活の夏もない。
 彼らはどこからきたのか? 闇路からだ。
 彼らはどこへ行くのか? 墓場だ。
 血が彼らの血管を脈打たせるのか? 否、夜の風だ。


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【2001/03/05 18:55 】 | 感想ホラー | コメント(0)
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