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【感想】所有せざる人々
所有せざる人々  アーシュラ・K・ル・グィン『所有せざる人々』(ハヤカワ文庫SF)。

 アナレス。惑星ウラスの〈月〉。砂と荒野に覆われた大地。
 そこは200年の昔、オドー主義革命の申し子達が新天地建設を夢見て移住した、法も政府もない新世界だった。誰も何も所有せず、喜びも苦しみも全てを皆で分け合う理想郷。
 だがその理想郷も、自分たちだけの殻に、壁の中に閉じこもり、“慣習”という法から外れる者を忌み嫌う排他的な世界となっていく。
 時間物理学者シェヴェックは、その壁を打ち壊すために、完成間近の一般時間理論をたずさえ、200年の断絶を越えてウラスへと降り立つ。だがそこにあったのは彼の理論を“所有”しようと目論む世界だった……。

 この本は、ル=グウィンさん(『ゲド戦記』での表記はこうです)の「ハイニッシュ・ユニバース」と呼ばれる未来史シリーズに連なるものです。このシリーズの中ではアンシブルという通信機器が存在します。アンシブルを使うと、何光年も何十光年も離れた世界同士がタイムラグなしに“同時に”話すことができるのです。物質は光速を越えることはできませんが、「情報」は物質ではないから、だそうです。このアンシブルを可能にしたのが、シェヴの打ち立てる一般時間理論なのです。
 しかし私がこの本を好きなのは、そういう科学的な面からではありません。シェヴが追い求める「自由」。
 アナレスは決して豊かな土地ではありません。物理の研究に打ち込みたくても、飢饉のために中断して肉体労働せねばならない時もあります。だがそれは決して強制はされない、派遣要請を受諾することを自らの意志で選んで現地に赴くのだ、とみなは言います。そのために、夫婦が別々の所に派遣されて引き離されることになっても。
 だがそれは決して自分で“選んで”いるのではない、とシェヴは言います。周囲から「利己的だ」と言われるのを恐れて、“従って”いるのだ。それは真の自由ではない、と。“自分で選んだ”と考えることで、安心しているだけだと。そういうことは、よくあるのではないでしょうか?
 ウラスの物理学者と自由に議論することを望んだ彼は、まるで国賊のように(そんな言葉はアナレスにはないはずですが)罵られ脅され、それでも諦めずに何も持たずにウラスへ赴きます。しかしそこはオドー革命以前の、一部の“所有者”と搾取される無産階級たちの世界でした。ついに立ち上がった民衆の前で、シェヴは語ります。

「われわれは互いに助け合う以外に救いはないことを知っています。手を差し出さねば誰も救ってくれないことを知っています。あなたがたが差し出すその手は空です。わたしの手と同じように。あなたがたはなにも持っていない。なにも所有していない。自分の持ち物がないのです。あなたがたは自由なのだ。あなたがたが持っている唯一のもの、それはありのままのあなたであり、あなたがたはそれを与えるのです」

 所有しないこと。それは私には無理な考えですが、かつてウラスに革命を導いたオドーの次の言葉は、何となくわかるような気もします。

 われわれは、仲間が飢えているときに飲み食いしなかったでしょうか? あなたはそのためにわれわれを罰しますか?
 罰も賞も人から受けるものではありません。なにかに値するという考え、なにかを得るという考えを捨てなさい。そこではじめて人は自由に考えることができるようになるのです。


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【2001/03/13 22:40 】 | 感想SF | コメント(0)
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