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【感想】眼鏡屋は夕ぐれのため
眼鏡屋は夕ぐれのため  佐藤弓生氏の第二歌集、『眼鏡屋は夕ぐれのため』(角川書店)。処女歌集『世界が海におおわれるまで』(感想)と比べると擬音語が減った、というのが第一印象。そして、どう言えば適切な表現なのかが分からないが、「……物騒になったなぁ」(汗)。
 語り始めると止まらないので、とりあえず好きな歌を十首挙げる。なお、“物騒”な歌は、意図的に外したわけではないが、この中にはない。上位十首に入らなかったんだよねぇ。

 もう西がどちらかわからなくなってつめたい海が 海がはじまる
 さみどりの庭 これまでの夏はなくこれからの夏もないとばかりに
 青空が折りたたまれてあるまひる曲がり角とはいたましい場所
 かんたんなものでありたい 朽ちるとき首がかたんとはずれるような
 風を聞く 踵をなくしてしまうまで帰るところが海と知るまで
 敷石のあいだあいだのハルジョオンなにかがもっとよくなるように
 神様とわたしどんどん遠ざかる夜ごと赤方偏移のしらべ
 誰の死も願ったことのないようなまぼろしですねこの晴天は
 にっぽんはうつくしい国あらかじめうしなわれたるうつくしい国
 怪獣を空に飼ってた 熱帯夜 わたしたちもう転生しない


 並べてみてよく解ったが、私は実に口語が好きだ。佐藤氏は文語表現もよく使う(例:なにひとつわたしのものでないゆえにかろき惑星儀をあがないぬ)のに、見事に一首も選んでいないぞ。
 自己満足だが非常に面白かったので、今度『世界』からも十首選んでみよう、うん。

(2008.6.24追記)
 風鈴を鳴らしつづける風鈴屋世界が海におおわれるまで

が『世界が海におおわれるまで』の表題になったくらいだから、佐藤氏はきっと海が好きに違いない。私も海は好きなので、『眼鏡屋は夕ぐれのため』の、前回挙げた「もう西が」と「風を聞く」は非常にお気に入り。『世界』にも、好きな海の歌がある。

 海へゆく日を待ちわびた少女期を思えば海はいまでもとおい

 これを読むと、何となく連想するのが与謝野晶子の「海恋し潮(しお)の遠鳴りかぞへては少女(をとめ)となりし父母の家」。海、少女という言葉が共通するだけで、少女期の海との距離感は正反対だとは思うのだが。
 さて、『眼鏡屋』中の次の歌が、特に好きではないのだが、「海へゆく」との対比で目についた。

 少女なんてかっこわるくて靴下を海よりだるくたゆませていた

 この二首だけで比較するならば、だが、「海へゆく」よりも、佐藤氏と“少女期”との距離が遠くなった気がする。完全に過去のもの、というか。

(2008.6.25追記)
 もう一組、『世界が海におおわれるまで』と『眼鏡屋は夕ぐれのため』で、対で思い浮かべてしまう歌がある。前者が『世界』、後者が『眼鏡屋』の歌。

 神さまの話はとおい海のようビルのあわいにひらく碧眼
 神様とわたしどんどん遠ざかる夜ごと赤方偏移のしらべ


 ……神との距離も、遠ざかっているな。
 後者の“神様”は、一連の歌の中に聖書、詩篇、新訳という言葉があるので、基督教の神と考えて良いと思う。一方、前者の“神さま”は、もっと漠然とした何か。例えば“宇宙”とかと言い換えても構わないくらい、特定できないものの気がする。
 佐藤氏の歌には神さまが多いんだっけ? と思い調べたところ、『世界』で他に二首、『眼鏡屋』で他に一首。「驢馬」が『眼鏡屋』より。

 神さまの貌は知らねどオレンジを部屋いっぱいにころがしておく
 牛乳瓶二本ならんでとうめいに牛乳瓶の神さまを待つ
 神さまのかたち知らないままに来て驢馬とわたしとおるがんの前


 「オレンジ」と「驢馬」の“神さま”は、漠然としているよね。というか、神の顔形を知っている人なんて誰もいないし。“牛乳瓶の神さま”は限定されたようだが、何だかわからないことに変わりはない。
 正体不明であっても、“神さま”は、佐藤氏が歌を詠むとき思考範囲に入る言葉なんだな。私だったら、神よりも赤方偏移のほうがまだ身近だ(汗)。

(2008.6.26追記)
 『世界が海におおわれるまで』でも『眼鏡屋は夕ぐれのため』でも、死の匂いのする歌は多い。が、『眼鏡屋』になると……やっぱり“物騒”としか表現できないな(汗)。そう感じる歌が、幾つかある。最たるものがこれ。

 どうしてもいやになれない 戦争よ もっとはらわたはみだしてみて

 いくさ、戦争、という言葉が、妙に目に付く。これは、佐藤氏が物騒になったのではなく、取り巻く状況が物騒になったので、自然と詠むことが増えたのではないか? と考えて。
 ……9.11だ(汗)。
 『眼鏡屋』に収録されているのは、2001~2005年に発表された作品だ。2001年の9.11テロ以降、テレビで戦争報道だらけだった。それでか、というのは私の推測でしかないけれど。
 さて、“物騒”とは違うけれど、「こういう捉え方をするのか!」と衝撃的だった歌を二つ。

 みんな仕返しが大好き極月の戯【そばえ】きらきらこうずけのすけ
 奪いあうために生まれた人類が芝に球蹴る遊び あそべよ


 前者が忠臣蔵で、後者がサッカーだよね。「みんな仕返しが大好き」と言われると、確かにその通りなんだけど、身も蓋もない……(汗)。

(2008.6.28追記)
 ところで、『眼鏡屋は夕ぐれのため』の「庭から庭へ」という一連に、次のような歌がある。

 胸に庭もつ人とゆくきんぽうげきらきらひらく天文台を
 指のあとうっそりふかいふるぼけた黒点観測記録用紙に
 ゆく春やアインシュタイン塔をなす錆びた小ネジであったよわたし
 余生なる未知の時間をすっくりとカール・ツァイスの遠めがねはや
 武蔵野のむかしかたかた数を編むひびきはありきひとびとありき


 ……これ、三鷹の国立天文台でしょ。武蔵野台地だし、構内にアインシュタイン塔あるし、ツァイス社製の望遠鏡置いてあるし、太陽黒点の観測するし。
 ふっふっふ。こういう小ネタがわかると、ちょっと楽しいよねー。
 というわけで、感想終了。ああ、やっぱり長くなってしまった(苦笑)。

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【2008/06/23 22:00 】 | 感想歌集詩集 | コメント(0)
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