![]() 満ちてくるほのおのにおい放課後は実験室の春のはじまり てのひらに卵をうけたところからひずみはじめる星の重力 夕焼けのわけなど問うな今もまだきみは無人の校舎にいるのだ 風鈴を鳴らしつづける風鈴屋世界が海におおわれるまで 神さまの話はとおい海のようビルのあわいにひらく碧眼 子どもたちみな魔女になれ三月の豆腐屋さんのおとうふうふふ 「死後なんかないのよだからねんねして」夜会に向かう母うつくしく 海へゆく日を待ちわびた少女期を思えば海はいまでもとおい 絵空事だけが恋しい かんむりを切りぬきましょう金紙銀紙 ロケットのかがやくあしたあのひとはひとりで泣いてわすれるのだろう 『眼鏡屋は夕ぐれのため』(感想)の際も実感したが、やっぱり私は口語が好きである。 また、『世界』には「擬音語が含まれた歌が多い」という印象があったのだが、上位十首にはあまり残らないんだよなー。かろうじて、「うふふ」が擬音語かな。
(2008.7.2追記)
改めて『世界が海におおわれるまで』を読み返すと、「擬音語が含まれた歌が多い」というより、反復語(?)が多いんだ。例えば、冒頭五首目から七首目まで、次のような歌が続く。 るり色の空の鳴る鳴る神無月とおくを見ている人を見ていた 少女たちきびきび焚火とびこえろ 休符をしんと奏でるように きよらかなきみに逢いたい中性子降る降る冬の渋谷の街で 擬音語はよく同じ言葉を繰り返す(例:ワンワン)ので、「擬音語が多い」という記憶になったと思われる。 まぁ、解説の井辻朱美氏が仰るように、確かに〈集中にはオノマトペの歌も多い〉んだけどね。 でたらめな薔薇の園生に風切羽やすめてリルケ、リルケルリ、ルリ 「夢といううつつがある」と梟の声する ほるへ るいす ほるへす でもやっぱり、“同じ言葉を二回繰り返すことが多い”という印象の方が、私には強いな。 (2008.7.5追記) 「~な歌が多いな」と思うときは大抵、自分はそういう歌を詠まないんだ、と気付いた今日この頃。 佐藤氏の歌では、“三月の豆腐屋さん”のように、月がよく明記される。異名(神無月など)を含めるともっと増える。12月分並べたらカレンダーになるんじゃないかと思い、『世界が海におおわれるまで』を調べてみたら、意外に少なかった。というか、詠まれる月に偏りがあり、全部揃わないんだよね。多かったのは9月。 亡命は少年のゆめさりながらクルト・ヴァイルの九月のうたは しろがねのコインかくして草の葉も水も九月はくろぐろとする 蝉たちを拾ってあるく、そのような九月生まれのぼくの天職 九月には残り香ばかりにがくなり九月になれば彼女は九月に 逆に、見つからなかったのは12、1、2の冬の月。 (『眼鏡屋は夕ぐれのため』に、12月の異名“極月”を使った歌はあったけれど。) というわけで、カレンダーは作れなかったのであった(苦笑)。感想終了。 PR |
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