忍者ブログ
【感想】オメラスから歩み去る人々
風の十二方位 最近アーシュラ・K・ル・グィン再読祭り中で、『所有せざる人々』(感想)を読んだ。
 自然豊かだが貧富の差が激しい惑星ウラスと、砂漠だらけで皆が平等に飢えに苦しむ惑星アナレス。かつてウラスで革命を起こした非所有主義者たちは、アナレスに移住して自分たちの理想とする国を作った。その子孫シェヴェックがウラスを訪れ、現在のウラスで革命を起こそうとする者たちの前で演説したのち、アナレスに帰っていく。
 ……シェヴェック自身が故郷に帰りたいのは当然だが、何となく疑問が残った。彼が〈地獄〉と呼ぶウラスは、〈地獄〉のままなのか? 放置して去るのか?

 その後、短編集『風の十二方位』(ハヤカワ文庫SF)を再読して、『オメラスから歩み去る人々』で、また疑問を抱いた。


 繁栄の限りを極め、たった一人を除いて全住民が幸福に暮らす都オメラス。
 その都のどこかの地下には、一人の子供が閉じ込められている。その子の不幸を代償に、オメラスの繁栄は契約されている。
 全住民はその子の存在を知っており、思い悩んだ末、その子の犠牲の上に成り立つ自分の幸福を噛み締めて暮らす。しかし少数の者は、黙ってオメラスを去る。

 他人を犠牲とした幸福を享受して生きるよりも、苦難を選んで旅立つことはわかる。でもこれ結局、子供は救われないんだよね。子供も含め、全員が幸福になる方法はないのか?
 『オメラス』の次に収録されている『革命前夜』は、『所有せざる人々』の過去、ウラスで革命を指導した女性の物語。著者が〈オメラスから歩み去った人々のうちの一人を描いた〉と記す。つまりアナレスは、歩み去った人々の子孫の住む世界。
 ……全住民が、自発的にオメラスから歩み去り、最後の一人が穴倉から子供を救い出す映像が、脳裏に浮かんだ。
 強制で物質的繁栄を捨てさせたら、絶対に不満が残る。でも納得して手放せば、物質的に貧しくはなっても、精神的には不幸にならない筈。アナレスのように。全員がオメラスを去れば、子供が不幸であり続ける必要はない。
 実現の可能性は果てしなくゼロに近いが、全員が幸福になる方法はこれしかないだろう、と思う。

 シェヴェックはアナレス人なので、来訪者が帰るだけであり、“ウラスを歩み去る”のではない。社会の改善は、ウラスの住民自身が行うべき。と、納得した。

拍手[2回]

PR
【2014/09/11 21:21 】 | 感想SF | コメント(0)
<<【小話】髪長 | ホーム | 【小話】蟻>>
コメント
コメント投稿














<<前ページ | ホーム | 次ページ>>