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【感想】ブルースカイ
ブルースカイ  桜庭一樹『ブルースカイ』(ハヤカワ文庫JA)。この著者の本は初めてだ。
 第一部のプロローグ部分を立ち読みして購入を決めたのだが……うーん(汗)。著者が書きたい趣旨は分かるし、その方向では上手く纏まっていてそれなりに面白いが、読む前&読みながら私が期待していた方向とは違う(泣)。勝手にSFを期待した私が悪いのだが。

 第一部の舞台は1627年ドイツ、魔女狩りの波に襲われる田舎町。物語は、10歳のマリーの一人称で綴られる。こんな硬い口調の10歳いるか? 成長後に昔のことを回想しているんじゃないのか? と思ったが、本当に10歳らしい(汗)。しかし、友人の12歳の少年が既に〈大人の働く男〉として扱われる時代だから、10歳でもこれくらい成熟していて当然なのかもしれない、と考え直した。
 第二部は、2022年シンガポール。24歳の3Dグラフィックスデザイナー・ディッキーは、中世について語る。
「近代以前には、人々はこども時代からとつぜん大人になったんだ。なぜなら彼らには生活があり、働かなくてはならなかった。結婚や出産もずいぶん早い時期から始まったろう? (中略)それが、近代になって学生である期間が伸び、人生において、こどもでも大人でもない不思議な時間が生まれた。そこで、幼女でも大人の女でもない“少女”という名のクリーチャーが生まれた」
 そして第三部の主人公は、2007年の17歳の女子高生。

 成程、著者は現代(2007年の設定だが、2005年の書き下ろしだから、“00年代”くらいの括りかな)の“少女”を描きたかったのか。“少女”が存在しなかった時代のマリーと、“少女”の文化的後継者としてのディッキーは、その比較対象だ。
 しかし、第三部の主人公に、十数年前は自分も女子高生だった筈の私が、全く感情移入できない(汗)。“少女”の代表なんだから、彼女が物凄く特殊なワケではないと思うんだ。じゃあ、私が特殊なのか? もし私が特殊でないならば、90年代と00年代の少女の間に、共感できない差異があることになる。続く。

(2010.8.10追記)
 以下ネタバレ有。

 第一部。マリーが祖母と住むレンスの町に、ブイルマン率いる魔女裁判の一団が現れ、次々に町の女を捕らえていく。だがブイルマンには、或る一組の男女を探す目的があった。
 マリーの祖母はかつてベルリンで秘密結社に属し、占星術や錬金術を学んでいた。その秘密の力で〈世界のシステム〉にアクセスし、マリーの未来、異邦人との出会いを予言する。祖母が“魔女”として連行された後、マリーの前に現れたのは、言葉の通じぬ、黄色い肌の若い女(現代日本の女子高生だが、マリーには解らない)。マリーは彼女を〈アンチ・キリスト〉と呼ぶことにする。
 ……女子高生、鞄の中の教科書をめくり、「世界史! もっと勉強しとけば……」と後悔するのがリアルだわ(苦笑)。17歳で違う時空に飛ばされて、何となく“中世ドイツ”と把握できただけでも凄いと思う。
 祖母は、実は老女に変装していた青年マクシミリアンだった。彼とマリーがブイルマンの標的だったのだ。〈さる高貴な女性〉と〈もっともシステムに近づいた〉男の娘であるマリーを守るため、マクシミリアンは彼女を連れて逃亡していた。彼の指示通り、マリーは〈アンチ・キリスト〉と共にレンスを脱出。ブイルマンの追跡をかわし、イギリス人の旅団に仲間入りして新大陸へと船出する。
 ……マリーが英語を少し覚えると、女子高生と意思疎通ができ始めるのもリアルだわ。日本人、飛ばされるならせめて英語圏がいいよね(苦笑)。
 マサーチューセッツへと向かう船上、〈アンチ・キリスト〉を追う黒衣の老人が現れ、船から〈アンチ・キリスト〉も老人も姿を消す。

 この時点での私の期待。
 マリーの父やマクシミリアンが属していた秘密結社が、システムの解明を目指すもので、マリーがその鍵になるのではないか。小松左京『果しなき流れの果に』の、時の流れを管理する上位存在と、管理に反発する人々の戦いみたいな感じで。魔力で隠蔽されたマリーの両親の名も、どこかで明かされるに違いない。
 或いは、マサーチューセッツに渡ったマリーの子孫が、未来の物語に深く絡んでくるとか。鈴木光司『楽園』みたいに。続く。

(2010.8.11追記)
 第二部。ディッキーが開発に携わっているのは、中世ヨーロッパを舞台としたゲーム。キャラクター担当の同僚が先ず若い白人男性を作り、それを若い女性へ、そして老婆へと変化させる。また、若い女性を縮めて少女を作る。
 ここで「ああ!」と思った。この子がマリーだ。第一部の世界はディッキー達が作ったゲーム内世界であり、マリーやマクシミリアンはキャラクターなのか。システム=ゲームのプログラムで、ディッキー達が上位存在なんだな。鈴木光司『ループ』みたいな話か、と。
(ところで、AIを搭載された少女が〈わたしは誰?〉と言った瞬間は、ぞくっとした。外観と人工知能だけを持ち、しかしまだ名前や設定は与えられていない少女。この子だけで一本SF書けるんじゃないか、と思う。)
 ディッキーの前にも、女子高生は現れる。ディッキーが自動翻訳機を持っていたので、今度は意思疎通が可能だった。彼女が名乗ると翻訳機は“青い空(ブルースカイ)”と訳し、ディッキーは誤作動を疑う。ブルースカイを追う黒衣の老人が現れ、逃亡しようとしたが、遂に捕獲されてしまう。彼女の名は、青井ソラ。
 ……確かに、翻訳機は間違っていないな(汗)。トールキン『指輪物語』(感想)の旧訳版では、、ミスター・アンダーヒルが“山の下氏”と訳されていたのを思い出した。機械に、これは固有名詞だ(訳さずそのまま発音せよ)と認識して貰うにはどうしたら良いのだろう、と悩んでしまう。続く。

(2010.8.31追記)
 そして、第三部。2007年、17歳の青井ソラが、時空逃亡者になる前の自身について語り始める。
 ……中世ドイツに現れた言葉も通じぬ異邦人や、未来で翻訳機による堅苦しい口調で話す謎の少女よりも、自分の言葉で喋る女子高生が一番理解不能ってどういうことよ(汗)。私が、非常にくだけた一人称文が苦手なのは新井素子『チグリスとユーフラテス』(感想)で自覚しているが、文体だけの問題ではない。行動も、考えている内容も、自分とは別種の生物のように見えてしまうのだ。十数年前は私も女子高生だったのだから、「自分に近い筈」という暗黙の思い込みがあって、余計にギャップが激しい。時代背景の異なるマリーやディッキーのほうが、よほど理解できる。
 仮に、ソラか私のどちらかが非常に特殊な人間ならば、私が彼女を理解できないのは当然だ。
 ソラという特定の人間を描写するのが目的の物語であれば、ソラ個人が特殊なのかもしれない。しかし、著者が描きたかったのは、もっと一般的な“少女”という存在だと思われる。だとすれば、全員がソラと同じではないにせよ、ソラみたいな少女は大勢いる筈だ。その大勢の少女全てを、私は理解できないに違いない(汗)。
 理解できないのが私だけならば、私個人が特殊なのだろう。これが一番簡単な解。
 しかし、アンケートでも取らなきゃ判らないけれど(汗)、もし30代女性の多くが理解できないならば、私は同世代の中ではさほど特殊ではないことになる。この場合、たかだか十年程度の世代差で理解できなくなるのか? と思うとちょっと怖い。
 ここでふと思ったのが、ならば私達も、上の世代からは理解不能に見えていた可能性がある、ということだった。それを考えると、もうちょっと怖い(汗)。

 ラストシーンは、哀しくて、綺麗で、印象的。
 しかし、マリーの両親は明かされず、マリーの子孫も登場しない。ゲームキャラの少女は名無しのままで、システムは解明されない。伏線全部未回収かよ! と思ったが、私が勝手に伏線と解釈しただけで、著者は張ったつもりなかったんだろう、しくしくしく(泣)。マリーやディッキーもシステム解明に繋がる鍵ではなく、“少女”の比較対象として配されたに過ぎなかったんだろうなぁ、というのが残念な作品だった。以上。

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【2010/08/09 22:08 】 | 感想SF | コメント(0)
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