忍者ブログ
【感想】闇の左手/冬の王
闇の左手  私の日記は「男文体」だ、という感想を頂いた。自分では、男でも女でもあり得る文章だと思うのだが、成る程そう見えるのか、となかなか新鮮である。
 それでふと連想したのが、私の大好きな作家アーシュラ・K・ル・グィンの長編『闇の左手』(ハヤカワ文庫SF)と、短編『冬の王』(ハヤカワ文庫SF『風の十二方位』収録)。
 この二つの物語の舞台となる惑星ゲセンに住む人々はみな両性具有者で、26日周期の“ケメル”と呼ばれる発情期になると男性か女性かのどちらかに、ランダムに変化する。一人のゲセン人が、以前のケメルでは父親になったが、今度は母親として子供を産む、ということがあり得るのである。

風の十二方位  この男でも女でもあるゲセン人達を、『闇の左手』では“彼(he)”という代名詞で呼んでいる。『冬の王』の前書きでル・グィンはこう書いている――
「英語の総称代名詞の三人称単数は、男性形によってあらわされる。一考に値する事実である。そしてそれが、逃れようのない罠なのだ。」
 男女どちらだかわからないとき、あるいはどちらでも構わないとき、通常“男性”とみなされるのではないか、とそんな気がしたのである。
 ゲセン人は両性具有者だ、とさんざん描写されている『闇の左手』だが、私の印象はやっぱり「男性がときどき女性にもなる」という感じだった。いくら“彼(he)”が性別を問わない総称だと言っても、そう書かれていれば頭の中には男性の姿がイメージされてしまうのである。ル・グィンは、『冬の王』においてはゲセン人を指す代名詞を全て、“彼女(she)”に書き直した。

 最近の小説はそうとばかりは言えないようだが、昔、地の文で「田中」とか「鈴木」とか苗字で描写されている人物は必ず男性で(その「田中」や「鈴木」の弟や息子は下の名前で呼ばれていたが)、女性は絶対に名前で書かれている、というのがあった。漠然とだが違和感を感じた中学生当時の私は、自分の小説の登場人物を、老若男女問わず全員名前で書く、というのにこだわったことがある。苗字というのも基本的に“男性”を連想させるものなのかもしれない、一生の間に苗字が変わる男性というのは今でも少数派であろうから。

拍手[0回]

PR
【2003/06/30 20:15 】 | 感想SF | コメント(0)
<<【感想】アリソン | ホーム | 【感想】天になき星々の群れ>>
コメント
コメント投稿














<<前ページ | ホーム | 次ページ>>